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2018年6月26日火曜日








『禅による生活』 鈴木大拙(著)小堀宗柏(訳)春秋社 p5
犬は常に犬であるのだが、おのれが犬であることを意識せず、またおのれのうちに「聖なるもの」を抱擁していることを知らない。だから犬はおのれを超越することができないのだ。犬は骨を見つけると飛びついて食う、のどがかわけば水を飲む、周期的に異性を追いまわす、競争者とたたかっても死をいとわない。その生の終わりにあっては、ただ息をひきとるだけである、その運命を嘆くわけでもなく、悔いもせず、望みもなく、また、あこがれもしない、これはどうしてなのか。犬はその「仏性」を自覚しないので、この真理を悟らずに過ぎたからにほかならない。犬はまさに禅を生きるけれども、禅によって生きるのではない。禅に生きるのと同時に、禅によって生きるのは、人間だけである。